正解は自分だけだという事で
楽しいも
嬉しいも
生きたいも
死にたいも
その全て、誰かの共感を得たい気持ちが溢れる
しかし、誰1人自分と同じ深さで感じることは出来ず、
同じ境遇ではなく、
同じ環境ではない。
特に負の感情は他人に共感を得ようとすれば、
生きろと言われ、
ならば死ねばいいと言われ、
どっちにも素直に賛同する事が出来ない。
その狭間にいる僕たちは
みんなでワイワイやって、
みんなで楽しくやってるつもりでも、
誰も心のうちは測る事が出来ていない。
日本はハイコンテクストな文化だ
そこまで言わなくてもわかるよね?
って風習が根付いている
真反対のアメリカは
その点はっきりしていて
こうだろう、と予測して接する事が
日本より少ないだろう。
日本は驚くほど相手の心境を汲みする文化であるから、誰もが誰もの心の内を知らずに決めつけで他人とうまくやっている。
よくもここまでうまく行くものだなとふと感じる事がある。
だから常識範囲内であれば
きっと自分基準で問題ない
こうしたら相手は怒るだろうか、機嫌を悪くするだろうか
そこまで悩む必要もないのだろう
皆がみんなの心の内を察して生きるから余計に生きにくくなって
余計にいざこざを生んでいて、
混沌としているのだ
考えても仕方のない事を
考えすぎるのは賢くない
時間の無駄だ
自分の直感したがってもっと生きたいものだなあ