顔がなかったなら、、
人は人を中身で見ることが出来る。
顔がなかったなら、、
人は顔色を伺って言いたい事が言えない事も無くなるだろう。
顔が赤くなって恥を書くこともなくなるだろう。
何より視線がなくなるという事は、
プレッシャーからの解放を意味する。
顔がなかったなら、、
顔がなかったなら、、
顔に綺麗もブサイクも無くなって
みんな生きやすい世の中になるのかもしれない。
なぜ人間だけ
識別可能な顔が出来たのか。
次回は顔がある理由を調べてみよう。
動物にはそこまではっきりとした
区別がない。
きっと生殖において、
動物はそこまで顔を重要視してないのかもしれない。
子孫が残せれば、
とりあえずのところOKなのだろう。
人は人の顔から
喜びや悲しみを読み取ることができる。
古くから言葉を生み出し、コミュニケーションをとって生きてきた私たちにはきっと重要な要素の一つなんだろう。
目を見れば分かる、なんて事を言う人達だっている。
子供を産めば、
顔が親に似る。
そうやって、雌に認められた雄だけが今世に残っている。
その点で言えば、
今生きている全ての人は、
雌に認められた顔であるということになる。
もちろん、その雄の能力に魅了された雌もいるだろうけど、それだって遺伝子として受け継がれるからきっと次世代に繋いでいける遺伝子の持ち主ということになるのだろう。
何かが足りないという人には
何かがあって
何かに不安を感じる人は
それ故に残ってきた遺伝子であって
誰しもが不安を感じなければ
人は滅びていたのだろう。
まっすぐ進める人と
立ち止まる人と
引き返す人と
全てがコミュニケーションをとって生きてきたのだから上手く付き合えない上司がいたって普通だ。
タイトルとずいぶん離れたことを書いている。。。
こんな思考がぐるぐる回って
思考が止まるまで書いてみた。
本日の僕の頭の中からは以上です。